楽しいリタイア人生をめざして
私は1936年生まれ。東京大空襲で生死の境をさまよい、最貧国並の飢餓の中を、なんとか生き抜きました。物質的には豊かになり、リタイアした現在、自由な時間を楽しみつつも、地球の未来に胸騒ぎを感じています。

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ヤンジジ

Author:ヤンジジ
古希を迎えブログを始めています。
心と体の健康維持のため。
日課のウオーキングで撮った写真を多く使う積もりです。
皆さん見守ってください。



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春一番の花 ロウバイが咲きました


 ロウバイを漢字で書けば蝋梅。 花びらが蝋のようで 梅に似ている花、と見た感じの
名称。 英語では”Winter sweet”といい 甘い匂いが冬の最中に薫るさまを名にして
います。 どちらも 似合いの名だと感心します。 中国が原産で 17~18世紀に世界に
広まりました。

 一週間ほど前、この花が見頃になったとのTV報道を見て、1月23日に岐阜梅林公
園、次いで26日に河川環境楽園に出かけてみました。

 ところで皆さんはロウバイにはソシンロウバイと、ただ単にロウバイといわれる種類
があるのをご存知ですか? そしてソシンロウバイの方が圧倒的に多く植えられている
ようなのです。 だから私はソシンロウバイがロウバイだと長い間、誤って認識していた
のです。

今回2ヶ所の公園を見て、これに始めて気が付きました。 ウカツなことで恥ずかしいで
す。 なおこの花は、梅の仲間ではなく ロウバイ科の植物だそうです。

ローバイ 009
岐阜梅林公園でロウバイが7分咲きでした。 ロウバイは樹高2~4mの落葉樹。

ローバイ 013
花の寿命は長く、2月末頃まで姿と香りが楽しめます。

ローバイ 57
これがソシンロウバイ(素心蝋梅)。 花全体が黄色です。

ローバイ 063
花びらは まさに蜜蝋のような感じですね。 甘い匂いが湧き立ち 天国で遊ぶようです。
( 以上 1月23日 撮影 )

ローバイ 046
ロウバイ。 これがロウバイといわれる種です。 花の中心部が暗紫色なのです。

ローバイ 067
河川環境楽園には多数のソシンロウバイに混じって、2本のロウバイが花を咲かせてい
ました。 そして名前が書いてあったのです。 それで私の勘違いにも気付いたのです。
( ロウバイは 1月26日 撮影 )



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ウォーキング   1月27日 14.400歩  28日 10.600歩







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テーマ:季節の花たち - ジャンル:写真


名古屋歴史散歩・その3・大正時代の豪華サロン・二葉館


 今日は”文化のみち” 散策の拠点ともなっている二葉館です。
二葉館は 日本の女優第一号といわれる川上貞奴と電力王と称された福沢桃介
大正から昭和初期まで6年間住んだ家です。 その斬新さと豪華さから「二葉御殿」 と
呼ばれ、政財界人が集まるサロンとなりました。

 当時 「名古屋電灯(株)」 の重役であった桃介は、木曽川での水力発電事業のため
の拠点としたのでしょう。 事業上のパートナーとして貞奴と同居したとも考えられ、色恋
ばかりではなかったようですね。

 建物名の由来となった当初の建設地 二葉町から、名古屋市によって現在地に移転、
修復工事が行われ、2005年から一般公開されるようになりました。

二葉館 034
赤レンガが目をひく 二葉館 (旧川上貞奴邸)。
これぞ大正ロマンの真髄でしょう。 国の登録文化財。

一階広間 057
大広間。 数多くのステンドグラスから射しこむ光が印象的でした。

階段 065
階段を登り、吹き抜けになっている一階大広間を見下ろす。 素敵な空間です。

一階日本間 055
一階の洋間の奥にある日本間。 ここは保存状態が良く 殆ど以前のままだそうです。

ポスター 054
以前は食堂だった部屋が 現在 ゆかりの品の展示場となっています。 中央は 貞奴の
ヨーロッパ公演のポスター(複製)。 ミューラー(ドイツ)作。 左はその時の舞台
衣装らしい。 あのピカソをも魅了したという話も伝わっています。

ステンドグラスと窓 80
食堂室の窓には、シックなステンドグラスが。

ステンドグラス 075
この邸宅で最も目立つのはステンドグラスでしょう。
数も多いのですが、私のご推薦は 大広間のこの作品です。



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ウォーキング   1月25日 10,000歩  26日 5,700歩








テーマ:建物の写真 - ジャンル:写真


名古屋歴史散歩 その2・懐かしさが残る 白壁町 主税町界隈


 前回のブログから続きます。 1999年(平成11年)、この地区で行われたウォーク
ラリ-
で ”文化のみち” という名称が初めて使われたようです。
この辺りは江戸時代 尾張藩士の武家屋敷が集まっていた地区で、戦災も免れたと聞
いていたので、その遺構を期待したのだが、現在は僅かな面影が残るのみ。 その点
では少々がっかりでした。

 現在この一帯は 高級住宅や瀟洒なマンションが建ち並ぶハイクラスの居住地域と
なっており、明治~大正~昭和初期の文化財がそれらの狭間に点在している状態で
した。 その中で 私の目にとまった いくつかの建物を ご紹介します。

長屋門 023
長屋門。 名古屋城下の武家屋敷の遺構では唯一現存する長屋門で、
場所も以前のままです。 この門にある出格子付き出窓(武者窓)
は 武家屋敷のみに許されたそうです。 (東区主税町)

大森 伊藤家84
 大森家(左)、伊藤家(右)。 大正時代建築の住居で、都市景観重要建築物に指定さ
れています。 大森家には百石未満の武家の門の構えである棟門(むねもん) と白い
漆喰塗り、堅羽目板の塀がみられ、江戸時代の雰囲気も漂います。 (東区棟木町)

旧豊田家門 117
豊田家の門。 武家屋敷の型式を取り入れて大正7年に作られた門だそうです。
屋敷跡はマンションが建ち、現在は門と塀のみが保存されています。
都市景観重要建築物。 (白壁町4丁目)

撞木館 088
棟木館。 昭和初期に陶磁器の加工問屋として財を成した井元為三郎の旧宅。 モダン
な洋館と和宅、茶席は現在サロンとして利用されている。 名古屋市指定有形文化財。
(東区棟木町2丁目)

か茂免 109
か茂免。 大正時代に京都の紙問屋、中井巳次郎が建てた別邸。
現在は高級料亭となっている。 (白壁町4丁目)



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ウォーキング   1月23日 12,600歩  24日 8,000歩






テーマ:心に残る風景 - ジャンル:写真


名古屋 歴史散歩・その1・名古屋市市政資料館


 名古屋市には”文化のみち”という歴史景観地区があるのです。 東区の白壁、主税
町(ちから町)を中心に 東は徳川園、西は名古屋城付近までのエリアで、江戸時代に
中級武士の武家屋敷が多い所でした。 幸いこの一帯は戦火を免れ、一部に古い建物
や懐かしい面影が残っているのを最近知りました。

 先ずは名古屋市市政資料館をご紹介しましょう。 ここは控訴院名古屋地方裁判所
庁舎として、大正11年(1922年) に建てられました。 戦後 制度が変わり、新裁判所
が建設されましたが、旧控訴院はその美しさを市民から惜しまれ、修復の上 資料館と
して保存活用されています。 ネオ・バロック様式を基調とした大正ロマン横溢の建物
で、国の重要文化財にも指定されています。

資料館 003
控訴院は現在の高等裁判所に当り、明治19年から昭和22年まで、全国に8ヶ所
設けられていた。 建物が現存するのは札幌と名古屋のみ。

正面階段 058
正面階段。 手摺の大理石とステンドグラスが素晴らしい。

2階回廊 026
中央階段2階の重厚な柱の配列も見事です。

会議室 032
会議室。 装飾 調度とも、かっての物を修復、復元したそうで、
この建物の中で、最も優れた部分だといわれています。

法廷模型 048
明治憲法下の模擬法廷風景。

資料館塔 043
2階の廊下から窓の外を見ました。 この建物はレンガと鉄筋コンクリート3階
建てで、塔の先端までの高さ 28m。



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ウォーキング   1月21日 5,500歩  22日 8,700歩







テーマ:心に残る風景 - ジャンル:写真


代表的な冬鳥・ジョウビタキにようやく出合えました


 グチをこぼすように幾度かブログに書きましたが、山野で冬鳥の姿を 殆ど見かけな
いのです。 年のせいで 脚も目も鈍くなっているのは否めませんが、歩く途中 出合う
バードウォッチャーの方たちも 同じように嘆いておられるのです。 正月過ぎの今も 同
様の状態が続いているので、何か異常が起きているのは間違いないようです。

 真相の追求をしたいと思っても素人の悲しさ、何をしたら良いか見当もつかないのが
もどかしいです。
でもジョウビタキだけは11月末ごろから姿を見せてくれました。 もっとも例年より 数は
少ないように感じますが。

ジョウビタキ 124
木の実を食べにジョウビタキメスが出てきました。

ジョウビタキ 37
今日の画像は 全てメスです。オスも見かけましたが、未だ満足な写真は撮れません。

ジョウビタキ 78

ジョウビタキ 89

ジョウビタキ 109
ジョウビタキのメスは地味ですが、何とも可愛い目をしています。

ジョウビタキ。 ヒタキ科。 体長 約13cm。 スズメよりやや小さく、オスとメスでは
全く色が異なる。 夏に中国北部、沿海州などで繁殖。 日本 中国南部
で越冬する。 植物の種や昆虫を食べる雑種性。



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ウォーキング  1月18日 13,400歩  19日 7,600歩





テーマ:野鳥の写真 - ジャンル:写真


中山道・中津川宿・屋根に上がったウダツが印象的

 私は歴史のある町並みや建物を見るのが大好きです。 岐阜県には江戸時代の幹線
道路 中山道が通っていますが、幸い 今でも江戸時代の面影を宿す元宿場町が数ヶ
所残っています。 その一つが中津川宿

 中津川市は 現在 岐阜県東濃地区の中心都市であり、リニア新幹線の岐阜県唯一
の駅が設けられるそうですが、江戸時代にも美濃路から木曽路に移る重要拠点だっ
たようです。 昨年秋 近くまで出かけた時に 写してきた画像を お目にかけましょう。

中津川宿 105
江戸時代中期に建てられた庄屋の家屋。 江戸後期からは旅籠も営んだそうです。

庄屋居宅説明 116
上の画像の中央に見える看板が これです。 ここは家も大きいが、ウダツも立派だ。

中津川宿146
日本酒 大吟醸 恵那山の蔵元。 4重になった卯建(ウダツ)が見事。

中津川宿153
蔵元の横道に周ると、白壁が美しかった。

中津川宿 135
江戸時代の面影を そのまま残す民家だそうです。 天保13年(1842年) の建造で、
今は無料休憩所として 一般公開されていました。

川上屋 128
中津川は栗の名産地として知られています。
この栗を材料とする老舗の菓子屋が数軒あります。



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ウォーキング   1月17日  10,300歩 (久しぶりに歩けました)







テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真


文明崩壊の怖れ! 先進国は消費水準を落とす必要あり


 かねてから漠然と私が抱いていた怖れに関する記事が、著名な地理歴史学者ジャレ
ド・ダイヤモンド氏のインタビューとして 正月3日の朝日新聞に掲載されていました。
今日は その要点と私の意見を述べたいと思います。

 環境問題で滅びたマヤイースター
古代マヤ文明は、増えた人口を支える燃料や建築材料を得るため森林を切り倒し
ました。 その結果 土が水に浸食され、下流の農地まで埋めてしまった。 残り少ない
農地をめぐり人々は争いました。 支配層も富や権力の拡大に熱中し、対応できなかっ
た。 そこに気候変動による干ばつが追い打ちをかけ、マヤ文明は滅びた。」

イースター島に人が住み始めた9世紀頃、島は亜熱帯性雨林におおわれていまし
た。 しかし燃料として、また巨石を運ぶ資材として目ぼしい木は全て伐採されたので
す。 鳥も獲り過ぎで絶滅しました。 農地も失われ人々は飢えました。 木も無いため島
を抜け出すカヌーを作ることもできず、争い合い 自滅したのです。 (18世紀頃?)」

 現在 世界をみると、先進国の人々は 最悪でも今の生活水準を維持しようと やっきに
なっています。 一方 発展途上国は先進国並みの暮らしをめざして懸命です。 加えて
人が生きるのが やっとという後進国が多数あり、これらの国は殆どが子沢山。 いわゆ
人口爆発が心配されています。

 このような現状では 後百年も経たずに化石燃料が枯渇、食料不足、水不足などに
直面するでしょう。 もちろん科学技術の進歩もあるでしょうが 東日本大災害とともに起
きた原子力発電所のような予想もつかぬ弊害も 否応なしについてまわるのです。

 環境改善を目的とした国際会議は何度開いても意見の一致をみません。 現状打破
には、先ず 一定の水準に達した文明国では、程々の我慢が必要です。 生活水準を適
当な所まで落とす必要があると、声を大にしたいのです。 と同時に環境維持の源とな
森林の維持と復活。 以上の二つが人類存続の必須条件だと強く感じたのです。
(以上の「」内は 朝日新聞より転載)

五色ケ原 131
地球上には もう僅かしか残っていない手付かずの原生林。 乗鞍岳五色ヶ原

五色ケ原 065
原生林に生える3種のカバの木。 左からダケカンバ。 中央 マカバ。 左 シラカバ。



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無事退院しました。 付記 野生オシドリの画像


 昨日 病院側の予想より1~2日早く退院できました。 有難うございました。
入院したわけは、私の左肘に20年以上前にできた腫瘍が、次第に大きくなっていたの
です。 長い間 痛くも痒くもなく、知り合いの医者も、脂肪の塊のようだから 放っておい
て大丈夫、といわれていたのですが、ピンポン球程の大きさに成長し、半年前から腕に
シビレを感じ始めたので、精密検査を受けたのです。

 検査の結果は 神経の鞘(管) とこの腫瘍が絡んでおり、放置すると手先が動かなく
なる怖れがあるというので 除去手術を受けたのです。 簡単な手術ではなかったようで
すが、執刀医の技術の高さもあって お陰さまで成功。 殆ど痛みも感ぜずでした。 感謝
感激でした。

 今回は相応しい画像が無いので、全く無関係なのですが、半月前に撮ったオシドリ
を載せさせて頂くことにします。 

オシドリ 026
毎年 野生オシドリが姿を見せる岐阜市の溜池に、今年も美しい姿を見せてくれました。

オシドリ 037
例年の凡そ1週間遅れで 越冬地となっているこの池に戻ってきたのです。

オシドリ 040
私の観察では 11月半ばに 70羽を越えたのですが、心無い人が保護地の
立ち入り禁止場所に侵入したため、オシドリは恐怖心から森の奥に退避。
半月ほど全く姿が見られませんでした。

オシドリ 052
12月31日に 30羽ほどまで数が回復したのを確認し、ホッとしました。 体力回復と
足慣らしのため、数日後には、またここを覗いてみようと考えています。



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テーマ:感謝 - ジャンル:その他


近江冨士が御神体の古社・御上神社(みかみじんじゃ)


 前回ブログに続き もう一つ 滋賀県の古社を ご紹介しましょう。 御上神社を訪ねた
のは去る1月3日。 正月参賀の人たちで 大賑わいでした。

琵琶湖の南東部にそびえる三上山(みかみやま) は均整のとれた姿が美しく、近江
冨士
と称賛される名山です。 日本最古の歴史書古事記にも記述があり、山を詠んだ
詩も多い。 この三上山をご神体とする神社 三上神社 即ち御上神社なのです。

 歴史のある美しい社殿と いかにも素朴な参詣の人々。 心温まる安らぎの一時を楽し
むことができました。 このような穏やかな環境に浸っていると、大災害で被災した方々
が頭をよぎり、申し訳ないような気になります。 一刻も早い復興を祈るばかりです。

御上神社本殿 98
御上神社本殿国宝。 屋根は檜皮葺で神社建築の証である千木、鰹木
も乗っている一重入母屋造り。 白漆喰の壁や連子窓などの仏教建築
要素や御殿建築の特徴も持つ独特なもの。 鎌倉時代の建造。

御上神社拝殿104
本殿前に建つ似た建物は拝殿です。 初詣の善男善女が大勢。
寒さ避けの囲いが無粋で残念です。 国の重要文化財

御上神社楼門 103
楼門。 屋根と二重の重厚な入母屋造りです。 境内の内側から撮影。 重要文化財

門の中 078
楼門の左右には随神が祀られています。 三上山のムカデを退治したという俵 藤汰
を守り神としたのかも? 一対となっているので 違うでしょうね。

狛犬 110
この神社には 同じく重要文化財の木造狛犬一対が所蔵されています。
この画像の狛犬とは違うのですが、参道入り口を引き締めていました。

私は今日これから神経鞘腫という腕の腫れものを切除する手術を受けるため5~6日
入院します。ブログも1週間ほど休みます。 命には別条ないそうなので よろしくどうぞ。



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ウォーキング   1月8日 11,700歩  9日 7,700歩






テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真


古墳に囲まれた神社・苗村神社(滋賀県竜王町)


 1月3日には お隣の県の神社巡りをしてみました。端正な姿で知られる近江冨士の
近くに、国宝の本殿を持つ神社が複数あると知り、参拝したい見たいとなったのです。
今日は苗村神社(なむらじんじゃ) をご紹介しましょう。

 ここは 東本殿と西本殿という 二つの本殿を持つ珍しいj神社なのです。
古墳の存在がが8基以上確認されている鎮守の森。 ここにたたずむのが東本殿
 祖霊信仰に始まるといわれています。
西本殿は 吉野金峯山の クニノサッチノミコト の御神霊が ここに遷座され、969年
 に社殿を造営奉ったもの。 今の建物は鎌倉時代の造営 国宝に指定されています。

 寛仁元年(1017年)正月、朝廷に門松用の松苗を献上して以来、毎年の吉例とな
り、後一条天皇から苗村の称号を賜ったそうです。 素朴な神社でしたが、これぞ日本
の心、と共感する神域。 身にも心にも清々しさが沁みとおりました。


苗村神社本殿 17
苗村神社西本殿。 塀でかこまれたこの区画 中央の社が本殿。 国宝です。

苗村神社本殿 38
参拝のために塀の中へ入ることができ、近くからの撮影もOKでした。
画像 左が西本殿。 流造りという神社建築様式で、屋根は桧皮葺。
右の建物は十禅師神社本殿といい 国指定重要文化財

苗村神社楼門 42
西本殿境内入口に建つ楼門。 こんもりと大きな屋根が印象的。 国の重要文化財

東本殿 59
東本殿。 開放的で明るい西本殿とは道路を隔て、鬱蒼とした森に鎮座しています。
室町時代の建造といわれ、これも国の重要文化財に指定されています。

古墳看板 056
東本殿前に立てられている 古墳群を説明する教育委員会の看板。
私も説明に沿って歩かせて頂きましたが、霊気でしょうか
体のあちこちがゾクゾクと 不思議な感覚を受けました。

なお この神社は、以上の他に 八幡社本殿、神輿庫、木造不動明王像
という国指定重要文化財を保有しています。



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ウォーキング   1月7日   11,600歩






テーマ:史跡・神社・仏閣 - ジャンル:写真


野鳥 シジュウカラの近況


 岐阜市周辺の山野では ヤマガラと共に シジュウカラは最もポピュラーな野鳥でし
た。 ところがここ数年 私がこの鳥を見る回数が激減しているのです。 少し足を痛めた
こともあり、以前のように広範囲を歩くことができませんが、12月中に5回、およそ10
時間にわたって 姿を以前よく見ていた場所を探してみました。

でもシジュウカラは全く見られません。 数回前のブログでヤマガラ探しの記事を書き、
ヤマガラは以前通り 沢山居ますよ」 と報告したばかりなのですが・・・・。

 近くの里山に 愛好家たちが巣箱を架け エサが不足しがちな冬場 食物を撒き、野鳥
の飼い付けをしている場所があります。 久し振りに ここを訪ねてみると、幸いにもシジ
ュウカラを見ることができました。 私よりはるかに経験豊富な野鳥の先達たちも この鳥
は減っているようだ、と心配していましたが。

シジュウカラ 42
スズメ目 シジュウカラ科。 体長 14~15cm。 スズメより少し大きい。 留鳥。

シジュウカラ 44
雑食性。 昆虫(成虫、幼虫) 植物の種、果実など。

シジュウカラ 25
さえずりは、ツピツピツピツピ。 地鳴きは、ツーツーやジクジクジクなど。

シジュウカラ 36
白と黒の鳥は種類が多いが、シジュウカラは胸のネクタイ模様が特徴です。

シジュウカラ 85
背の模様と色の美しさも知って頂きたい。 この角度からは滅多に見られないので。

 ヤマガラの減少はネット上でも数多く報告されていますが、その本当の原因は未だ
解明されていないようです。 私が歩く野山ではエサ不足とは思えません。 この鳥は多
種類の食物を摂るからです。 繁殖を妨げる 何か 環境上の問題があるのでしょう。 これ
が不明のままでいると、知らぬうちに人間生活にも悪影響が及ぶ怖れが考えられます。



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ウォーキング   1月5日   5,300歩






テーマ:野鳥の写真 - ジャンル:写真


関ヶ原・逍遥


 一ヶ月ほど前の山歩きの時に 少々足を痛めました。 急いだり 長い距離を歩くと 左
足首の腱が痛くなるのです。 一晩寝ると痛みは消えるのですが ・・・・。
以前にもこれと同じような症状になったことがあるのですが、いつの間にか直ってしまっ
たので、今回も それを期待しているのです。

 ウォーキングは私のリタイア生活の基幹。 健康やブログのネタなどの源なのです。
なので歩くのを止めるわけにはいきません。仕方なく以前よりスピードを落とし、なるべ
く平坦な場所での散歩程度に止めていますが。

 でも町中や公園などを ただノルマのように歩いても、すぐに飽きてしまいます。 なの
で 工夫が必要です。 その一つが南宮大社の初詣ででした。 今日のブログはそこから
もう一歩 足を伸ばした記録です。

聖武天皇縁の地41
ここは聖武天皇ゆかりの地です。 南宮大社に隣接した山側にあり 奈良の大仏建立
に際して天皇が祈願した場所のようです。 古来より 霊力が籠っていた場所らしく、
今で言うパワースポットなのでしょう。

瓦塚 045
上の画像の近くで、面白いものを見つけました。 瓦塚というらしいです。 南宮大社で
破損した瓦を供養する塚ですね。 ここでも強い霊力を感じたような気がします。

南神宮寺 074
南宮大社入口の案内図を仔細に見ると、近くに国の重要文化財を3つも持つ
寺があるのを知りました。 禅宗のお寺、真禅寺(南神宮寺)です。
そこから ゆっくり30分ほど坂を登りました。

本地堂 078
本地堂。 この寺の本堂なのでしょう。 禅宗とは思えない華麗な建物
でした。 江戸時代初期に再建されたものです。

三重塔 84
三重塔。 高さ25mの端正な塔で、昭和57年から33ヶ月の工期と1億円以上の
費用をかけて徹底的な解体修理を施したそうです。 これも江戸時代初期の建造。

梵鐘 091
この梵鐘は 平安時代中期以前 1200年以上前のもので、ヒビ割れの怖れがあり、
鐘をつくのを禁止しているそうです。 ( 以上の3件が重要文化財 )



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ウォーキング   1月3日   6,700歩







テーマ:ある日の風景や景色 - ジャンル:写真


初詣は美濃一の宮・南宮大社へ


 明けましておめでとうございます。 昨年大災害で被災された方々の1日も早い復興
を心からお祈り申しあげます。
あまり信心深くない私ですが、元旦だけは心を改めて、祈りたくなる特別な日ですね。

 約40年前 岐阜市へ転居して以来 今日 初めて南宮大社へ初詣に行ってました。
このお宮は 関ヶ原の戦いで激戦の真っ只中となった岐阜県西濃の垂井町にありま
す。 創建は神武天皇の御世と伝えられ、美濃国一の宮という格式の高い神社でした
が、この時全てが焼け落ちました。

 今の社殿は、この近隣出身の春日の局の願いにより、三代将軍徳川宗光が巨費を
投じ、1642年に再建されたものです。 和様 唐様が混合する独特な「南宮造り」 とい
う建築で、建ち並ぶ社殿の殆ど全て 18もの構築物が国の重要文化財に指定されて
いるというので驚きました。

全てが大きく伸びやか、日本には珍しく明るい神社だな! という印象の初詣でした。

拝殿前 025
元旦朝8時頃の拝殿前。 未だ混雑前の時間だったらしい。

楼門 070
楼門。 入口の門です。 屋根と軒が大きな堂々とした建物。

高舞殿 015
高舞殿。 朱色がとても鮮やか。 昨年修復が済んだばかりらしい。

本殿 017
本殿。 入母屋平入りの素木造り。 周りが鮮やかなので、とても清々しく感じます。

勅使殿 027
勅使殿、社務所、北門。

石輪橋 013
石輪橋。 神がお渡りになる橋なので人が通ることは出来ない。
上記のうち 太字で書いた構築物が重要文化財です。

焚火 015
参詣者に暖をという配慮でしょう。 拝殿前で焚火をしていました。 なんと重要文化財
から20m程の場所です。 火災は大丈夫かとビックリしましたが、消防団の方たちが
近くで目を光らせていました。 地方らしく のんびり、ほのぼの良い気分になりました。
(最初と最後の画像は本日撮影。 他の5枚は12月29日 撮影。)



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